【読書感想文に物申す!】読書と趣味と熱量についてのお話

「読書感想文って意味あるのだろうか?」という問題提起をするため、読書感想文についていろいろ思ってることを書いていきたいと思います。

結論から言うと、

「読書感想文を書くことで何かしら効用はあるかもしれないけど効率悪いよね~」

って感じの内容になってます。

読書感想文にいい思い出がある方も悪い思い出がある方も是非見ていただけると嬉しいです。

 

教育者たちが読書感想文をかかせる目的

あまり文科省や学校の方針についてググって調べたわけではないですが、想像するに読書感想文を書かせる目的は以下の2つに大別できるのではないかと思ってます。

①子供への読書推進のため

②文章能力の向上

教育者というものは得てして子供に読書をさせたいと思っているのではないかと思います。

なので読書感想文なるものを子供に強制させ読書を好きになってもらおうという魂胆なのではないでしょうか。

読書感想文であれば子供に読書を強いることができ、さらにはその感想を書くことで文章力も向上できるので一石二鳥だと教育者は考えているのだと思います。

以上が読書感想文を書かせる目的なのではないかという私の勝手な推察ですが、的を得ているかどうかは読者の皆さんがそれぞれ判断していただければ幸いです。

 

読書感想文を行うと子供は読書が好きになるのか?

私としては読書感想文を書くということは読書嫌いを増やす要因になっているのではないかと思います。

なぜならば強制された読書ほどつまらないものはないからです。強制された挙句、感想まで書かなければならないのです。

しかも手書きで。

こんな苦行を設定しておいて読書が好きになるわけないのです。

ゆえに読書感想文を行使しても子供たちは読書が好きにはならないのです。

 

読書感想文で文章力は向上するのか?

読書感想文をすることで文章力は向上するとは思います。

しかし文章力を向上するだけであれば、別に本でなくともアニメや映画等の感想文でもいいわけです。

そして手書きで書く必要があるというのもものすごく効率が悪いと思います。

私はブログを執筆していますが、これを手書きで書けとなるとおそらく最初にパソコンで下書きを書いてそれをうつす形でアナログ原稿に落とし込んでいくと思います。

単純に手書きとタイピングの執筆速度の差だけではなく、400文字原稿用紙の場合修正が非常に困難だからです。

少し表現を変えたり、追記しようと思っても後の文を消さなきゃならないので出戻りが簡単じゃないのです。

構成を覚える上でも手書きよりもタイピングで文章を書いていったほうが効率も良いのではないかと思います。

つまり現状の読書感想文の形式は非常に学習効率が悪いということです。

 

読書感想文の何がダメなのか?

上記で教育者が読書感想文を書かせる目的は子供への読書推進と文章能力向上であると書きました。

この2つの目的に関しては私も同意できます。

読書というものは月並みな言い方ですが人生を豊かにしますし、そのほかにも様々な効用があると思います(この辺りの話に関しては深堀すると長くなるので割愛します)。

そのため読書推進自体は賛成です。

そして文章能力の向上についても事務仕事などの場合、至る所で文章を書く機会はあり有用だと思うので教育の段階で文章能力を向上させるのは非常にいいことだと思います。

現在の読書感想文の形式だと「読書を好きにさせること」と「文章能力向上」という両方の目的を同時に達成しようとしているから、あまり効果を得られていないのだと思います。

つまり2つの目的を分離させ考える必要があるのではないかということです。

 

文章能力を向上させるにはどうすればよいか?

今どきの学校はあまり知りませんが、私が学生だった頃は小中高とパソコン室があったので、国語の授業などでパソコンは使えると思います。

文章力を向上させたいのであればパソコンで長文を書けばよいのです。

題材は読書感想文でなくとも、映画の感想や日記などでもいいのでとにかく何らかの目的がある長い文章を書かせることが文章能力向上の際には大事なことではないかと思います。

パソコンが難しいのであれば、大学ノートなどでも原稿用紙よりは効率よくかけるのではないかと思います。

最初に2行か3行ずつくらい空けて執筆して、後から追記できるようにしておけば出戻りが少なくて済むのではないでしょうか。

結構これだけでも文章能力を上げる効率は良くなるような気がします。

 

人を読書好きにする方法

大人や子供にかかわらず他人を読書好きにするのは非常に難しいことだと思います。

親が読書好きだと子も読書が好きになるということも聞くので、やはり環境が大事なのでしょうか。

環境以外にも感動的な読書体験をしたことがあるかどうかというのもあるとは思います。

現に私も中学生くらいに読んだ「涼宮ハルヒの憂鬱」を読んでラノベにハマり、数年前に読んだ「言葉とは何か」でソシュールにハマったりするなど印象的な読書体験が数々あります。

こういった読書体験を得るためにはやはり読むしかないわけで、しかし読むことを強制させるとむしろ嫌いになるわけで、つまり他人にはなすすべなしなのです。

ゆえに私は人が読書を好きになるかどうかは運なのではないかと思います。

 

読書に関わらず本気で熱中するということが大事

ここからは少し話はそれますが、多少は関係あると思いますので私がなぜ読書を積極的にするようになったか語っていきたいと思います。

私の場合は読書が好きというよりももともとはアニメが好きで、そこから派生してエロゲーをやるようになり「素晴らしき日々 〜不連続存在〜」という作品に出会いました。

この作品はエロゲーにもかかわらず哲学的な引用がたくさん出てきて非常にわけがわかりません(作者すかぢ先生)。

しかし私はこの作品が持っている哲学的な考えを理解したいと思い引用されている関連書籍を読んでいきました(まだ途中)。

それこそエヴァから聖書読みだしたり、「君はみだらな僕の女王」を読んで「月は無慈悲な夜の女王」を読むみたいなノリです。

このノリが大事なのではないかと思います。

どういうことかというと私の熱量は読書という方向に向かっているのではなくて「すかぢ先生の作品」に向かっています。

「すかぢ先生の作品」に対する熱量があり余るほどあるからこそ、サブテキストである哲学書に意欲が向くのです。

そして私の場合はそのサブテキストから同じような感動を得て、読書にハマっていくことになりました。

そのように自分の趣味からどこまでも掘り下げていくという熱量、つまりは趣味にどこまで本気になれるかが人生において大事なのではないかと思います。

何かに打ち込む熱量があれば場合によっては読書なんてしなくてもいいと思うくらいに私はそう思います。

それがなぜなのかについて説明していきましょう。

その理由はなぜ「読書をするのか?」という話と深くかかわってきます。

読書をすると思考力が高まると個人的には思います。

簡単な本をサッと読んでも思考力は高まらず、難しい本をじっくりと読むことでしか思考力は得られないでしょう。

しかし個人的には読書をしなくても熱量さえあればこの思考力も獲得できるのではないかと思います。

例えば野球のイチローの話を聞いていると読書をしていなくても野球から思考力を会得しているように感じます。

仕事であり一番の好きなことである野球にこれ以上ない情熱を注ぐからこそ、野球をうまくするためにはどうすればいいか試行錯誤することになり、結果として思考力が醸成されるのだと思います。

本当にイチローが本を読んでないかは知りませんが、野球から思考方法を会得しているのは間違いないといっていいでしょう。

このように読書をしなくても何かに本気で打ち込む情熱さえあれば思考力は自然と醸成されます。

そしてその思考力は人生での生活をより豊かにするものになるのではないかと思います。

つまり読書を好きにさせるという目的を達成するのは難しいので、趣味に没頭させることを美徳としたほうがいいということです。

 

物事に対しての熱量を高めるにはどうすればいいのか?

では物事に対しての熱量をどう高めればいいのかというと、これは私も知りたいことです。

熱量が大事と実感していても、人間はどうしても怠けてしまう部分や趣味だからといって妥協してしまう部分があったりします。

自分も怠け者なのでよくダラダラしてしまい無為に時間を過ごすことがあります。

まぁこの辺りは運動習慣をつけるとかよくあるハウツーの小技で何とかするしかないのかもしれません。

経験則から言うと何かの意欲を高める場合は運動するのはオススメです。

結局のところ気合と小技の両輪を回していくしか熱量を高める手段はないのかもしれません。

 

まとめ

ちょっと書くつもりが興が乗ってしまいいつの間にか4000文字近く書いていました。

ここまでの文字数を書くのは初めてなので記録達成してうれしい反面、読み返すと内容ばらけすぎててどうなのかぁとも思っています。

まぁなんにせよここまで読んだ方に読書や趣味に対して何らかの効用があれば幸いです。

以上。

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