【書評】「歯車」での芥川龍之介の暗(やみ)とは何なのか?

筑摩書房の芥川龍之介全集を気になる作品から読み込んでいるのだが、後期の作品の奥深さはすさまじいものがあると思う。

読んだものの中で、個人的に完成度が高いNo1は「河童」ではあると思うが、一番芥川の内面が出ているのは「歯車」である。

今回はそんな「歯車」に出てくる謎や魅力を書いていき、芥川の内面に迫っていきたいと思う。

 

「歯車」の内容

「歯車」は名前こそ出てこないが芥川龍之介本人が主人公のおそらく実体験を書いた小説なのだと思う。

その理由としては作中、主人公に話しかけてくる人たちが芥川の書いた作品を話題にして話したりするからである。

このあたりをどの程度現実に忠実に書いているかはもしかしたら研究されているかもしれないが、自分はそのあたり門外漢なので言及しないことにする。

どちらにせよ、芥川龍之介の世界に対する見方がこの小説から読み取れる。

個人的に興味をひかれた点として芥川の神経質な点である。芥川は何気ない出来事の中にも闇を見出していく。

例えば、作中で芥川の父親的な存在である室賀文武(作中では或る老人)に会いに行くのだが、室賀文武が家でりんごを出してくれた時に以下のような一説がある。

のみならず、彼の勧めた林檎はいつか黄ばんだ皮の上へ一角獣の姿を現していた。一角獣は麒麟(きりん)に違いなかった。僕は或敵意のある批評家の僕を「九百十年代の麒麟児」と呼んだのを思ひだし、この十字架のかかった屋根裏も安全地帯ではないことを感じた。

りんごから麒麟を見出して、そこから自分が批判されたことを思い出して嫌な気分になってしまう。この辺りは非常に神経質さがうかがえる。

他にも、喫茶店である親子が会話をしているところで、あの息子は母親に無理に付き合ってやっているという想像をしていたりと何かと皮肉的に物事を見ていることがわかる。

そういった陰湿な雰囲気が最後まで味わえるのがこの作品の内容となっている。

 

「歯車」という作品の謎

「歯車」という作品は非常に謎がちりばめられている。作品の内容としてではなく芥川の内面について考察しがいがある作品となっているのである。

一番の謎が芥川の暗(やみ)とは何なのかということである。芥川は先ほど言及した老人である室賀文武と会話でキリスト教の話をする。

芥川はキリスト教に入信したいと考えるも1点だけどうしても信じられないことがあった。

キリスト教は闇の先には光があるといっているが「光のない暗」もあるのではないかと思い、芥川はキリスト教を信じることができないのである。

その「光のない暗」とは何なのかが作中では詳しく言及されていない。

室賀文武から「光のない暗とは?」と聞かれるのであるがなぜか答えないのである。

芥川は相手を理解させるために12年間の自分が体験したことを話したいと思うが、結局のところそれを話すと家族にも伝わり精神病院に入れられると思ってしまい話さない。

この謎は「歯車」だけを読んでも判明せず、考察するしかないのではあるが非常に心惹かれるものがある。

個人的にこの辺りは今後様々な論文とか解説書などを見て、知っていけたらいいと思っている(判明しているかは知らないが)。

 

まとめ

「歯車」は結構謎の多い作品ではあるが、非常に興味深い小説ではあるのでおすすめである。

作中で芥川が言及している小説などを読んで見るともっと考察がはかどるかもしれない。

「罪と罰」すら読んだことない自分としてはもう少し読書を頑張らねばと思う。

芥川の経歴と知識の博学さを見ていると、自分の知識のなさに愕然とする。詰め込み教育世代とゆとり世代を比較するのがばからしくなるくらいに彼は教養が深い。

芥川に近づけるとまでは言わないが、せめて芥川の作品が理解できるくらいまでには教養を高めたいものである。

以上。

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